当時の担任教師には感謝しても感謝しきれないほど恩人に感じています。
学校を後にし、家に帰ると母は乳飲み子を抱え手が回らずに家事もろくにできず、私が下の兄弟たちの世話をしていました。
下の兄弟の中には自閉症やアスペルガー症状のある弟もいて、私は世話に手を焼いていました。
泣きわめいたり、奇声を発したり、外に徘徊するといった弟もいて、近所でも迷惑がられていたのは事実です。
しかし二軒先のご近所であるおばあさんが、私の家庭のこうした事情を良く理解してくれていて、時折私や兄弟たちにお菓子を差し入れてくれたことは本当にありがたかったです。
多くのご近所さんが冷ややかな目で疎ましそうに我が家を見ているところ、そのおばあさんだけはいつもやさしく声をかけてくれていたのです。
私はこうした人のやさしさに触れていたので、思春期になってもぐれたり反抗したりせず成長できたと思っています。
そうしているうちに時は過ぎ、私は勤労学生として働きながら無事定時制の高校を卒業することができました。
卒業を目前にしたときに、進路指導でどの方向に向かっていくのか非常に悩みました。
大学にも進学するだけの資金は我が家にはなく、母を少しでも早く楽にさせてあげたい一心で働くことを心に決めました。